田淵行男賞受賞作品「BAT TRIP」

「 BAT TRIP 」
第3回 田淵行男賞 受賞作品(20枚組)

自然は球体である。
それは地球が球体であることに由来するのか定かではないが、そこに暮らす我々人間も球体である。球体であるから光と陰が出来る。昼と夜がある。表と裏、前と後ろ、上も下もある。
私がコウモリのことを知ったのは、もう10年以上も前になる。私が言う「知った」は、「何も知らないということを思い知った」ということである。コウモリもれっきとした野生動物のはずで、むしろ日本の陸上哺乳類の中で最多種類数を誇るのがコウモリ類であるにも関わらず、私は何も知らなかったのである。
実際にコウモリを調べてみてまず初めに分かったのは、彼らは実にアンダーグラウンドな動物であるということだ。光と陰なら陰、昼と夜なら夜、表と裏なら裏、前と後ろならば間違いなく後ろであった。さらに彼らは自然界の死角や盲点という人間の弱点を突いてくるかのような生活スタイルを持っていた。その為にコウモリは我々の考え得る生態系という名の自然界評価基準から外されかけていた。存在を知られなければ、いないも同じである。これではイカン。自然界に知らなくて良いことなど無いはずだ。これはイカン。誰かが調べなくてはならんのだ。誰がやる。誰もいない。じゃあ私がやるよ。という流れであったように思う。今となってはそんなことはどうでも良いことだ。
私は自然界に魅力の無い生物などいないと頑なに信じている。ご多分に漏れずコウモリもそうで、非常に魅力溢れる生物であった。特に、謎に満ちているというのが良い。今まで分からなかったことが分かった、という至極単純な「知の喜び」には、人間の麻薬的常習性が遺憾なく発揮されるものである。私もそんな快楽に身を投じ、ただただ堕落してきただけかもしれない。そうだ、気持ち良さに溺れただけだ。
そんなことを反省している暇はない。私には堕落したお陰で見えてきたものがある。自然界における球体の陰、裏、後ろや下が見えてきたのである。これらは、安易な先入観や凝り固まった偏見という呪縛から私を解放してくれた。自然界の神秘性と無限の奥深さを教えてくれた。この世に見かけ通りのものなんて無い、球体とはそうゆうことだと分からせてくれた。
それを私に教えてくれたのはコウモリなのだが、肝心のコウモリのことは未だに謎だらけのままだ。これでは私の旅は終われない。自然界の裏の裏を知り尽くすまで、私の旅は終われない。いや、終わりは、この旅に終わりはない。

中島宏章

 

<<補足説明>>

01 コテングコウモリ >> 雪の中のコテングコウモリ。海外を見渡してみても雪の中で丸くなって眠るコウモリなどおらず、世界的に例を見ない型破りな生態と言える。

02 エゾシカ

03 オオセグロカモメ

04 街灯と虫たち >> コウモリ1頭が1晩に食べる虫の数は、蚊に換算するとおよそ500匹。街灯レストランをいくつもハシゴするコウモリもいる。

05 ヤマコウモリ >> 昆虫食の日本産コウモリ類の中では本種が最大級で、翼を拡げると40cmほどの大きさである。巨木の残る神社の境内など、我々の身近な場所に人知れず生息している。

06 ヒメホオヒゲコウモリ >> この飛翔連続写真から算出したコウモリの飛翔スピードは、時速8.3キロ。スピード自体は驚くほどではなかった。むしろスピードを抑えながら縦横無尽に飛翔するのがコウモリの特徴だと分かる。

07 ウサギコウモリ >> コウモリは超音波を発声して、その反響音で周囲を把握することが出来る(これを反響定位と言う)。コウモリも視力はあるが、超音波による反響定位に大部分を頼っている。コウモリが光の全く無い暗黒の世界においても何ら遜色なく飛ぶことが出来るのは、この優れた機能のお陰である。残念ながら超音波であるので、我々人間にはその肉声を聞くことは出来ず、頭上を通過するコウモリに気付くことはない。

08 エゾユキウサギ

09 コテングコウモリ >> 枯れ葉を寝床にする希有な習性は、近年になって発見された。もはや役目を終わった枯れ葉に住まいを求めるあたり、非常にコウモリらしい。まさに盲点である。

10 ヤマブドウ >> 高さ9mにあるヤマブドウの枯れ葉。この中にもコテングコウモリが潜んでいる。まさか、この中に動物がいるなどと誰も考えはしないだろう

11 キタキツネ

12 コテングコウモリ >> 4センチほどの小さな毛玉が枯れ葉の中に引っ掛かっているようにしか見えないが、片足でぶら下がっている様子が分かる。これがコテングコウモリである。

13 ホオヒゲコウモリ >> 普段は物静かなコウモリも危険を察知すれば威嚇をする。ちなみに、日本に吸血コウモリはいない。コウモリは全世界で1000種(日本には35種)と言われており、そのうち中南米に生息する1種だけが哺乳類の血液も餌とする。たった1/1000のことでコウモリのイメージを決めつけるのはいけない。

14 モモジロコウモリ >> コンクリートで固められた地下水路は、コウモリの格好の隠れ家だ。巧みに人間活動を利用して臨機応変に生きていくことが出来るモモジロコウモリの一例である。

15 ドーベントンコウモリ >> ドーベントンコウモリは波のない鏡のような水面を好む入れ替わり立ち替わり、夜明けまで川面はコウモリたちで賑わう。このダイナミックな自然界の営みのことを190万人いる札幌市民の誰も知らないというのは驚くしかない。

16 モモジロコウモリ >> 深夜2時50分。知床羅臼の海上2.4キロ沖を飛翔するモモジロコウモリを撮影した。深夜の航海で私が見たものは、この世の出来事とは思えない衝撃の光景であった。暗黒の海上を多数のコウモリたちが群れ飛ぶ神秘極まりないシーンは、世界遺産知床という舞台の孤高性も手伝い、私の脳裏に深く刻み込まれた。海上を飛翔するコウモリの確認事例は世界的に非常に珍しく、実際に海上を飛ぶコウモリの撮影は世界初であろう。我々人間は海と川を分けて考えてしまうが、コウモリにとっては海も川も無いはずだ。自由に餌を求めて飛んだ結果がたまたま海上であったという事も考えられる。写真には、海に浮かぶクラゲやゴミ(海藻や鳥の羽)が、濃い霧の中を飛翔するコウモリと共に写っている。

17 コキクガシラコウモリ >> コウモリの翼は手のひらが進化したものだ。指先の細やかな動きにより、左右の翼の形状を微妙に変えることで、画期的に巧みな飛翔が可能となる。

18 ウサギコウモリ >> 飛翔するコウモリの後ろ姿には、独特の神秘性と芸術性を感じることができる。

19 エゾシカ

20 コテングコウモリ >> 雪の中で眠るコテングコウモリは、一見、単なるゴミにしか見えない。コウモリが入っている円柱形の穴は、わずか直径4.5cm程である。ともすれば、私たちの視界に入っていたとしても気に掛けることすらないだろう。私はこのシーンを撮影する為に、3年を費やした。カタツムリのようにゆっくりと注意深く歩く方法を思いつき、修行僧のように実践したものの、視界に広がる雪原を見て、途方に暮れることなど数知れなかった。